ツルピカ弁当ポテト添え

火山功士 ゲイで無所属の舞台役者です。

自分語り許してチョンマゲ

小学生の時、僕は女の子とばっかり遊んだり女々しかったのもあってオカマって馬鹿にされてた。

親にピアノを習わされてたんだけど、それが僕はまたオカマって馬鹿にされると思って隠してた。

学校の帰りにまっすぐピアノに行ってたんだけど、ある日学校の先生にみんなの前で「ピアノやってるんでしょ?」て言われて、もうそれが恥ずかしすぎてめちゃくちゃ暴れて泣いてしまった。楽譜をクシャクシャにしてた。

ピアノのことに関しては結局は誰にも馬鹿にはそれなかった。

 

中学に入ったとき、兄(イケメン・頭いい・運動神経抜群)がバスケ部に入っていた。兄は有名で、その流れで先輩に誘われて嬉しくて入った。

僕はドリブルもまともに出来なくてトラベリングばかりだし、オカマって馬鹿にされ続けてた。

部活の誰とも仲良くなれず、クラスの女の子とばっかり遊んでた。

バスケが好きって感じたことがなくて辞めたくて仕方なかったけど、親や先生に辞めるなって言われると思ってやめられなかった。

一回も休まず練習に行ってたけどずっと馬鹿にされてたし気持ち悪がられてた。

 

中体連の試合で、札幌で一番強い東海大四中学と当たった。

ボロ負けの状態で、僕はちょっと出れたけどすぐにトラベリングしてしまい、相手の中学の親に笑われてた。

 

なのに部活が終わった後の送別会で、「このメンバーだから続けてこれた」なんて1mmも思ったこともないのに言ってた。

先生の喜ぶことを言うのに必死だった。

本当は全員死ねって思ってた。

 

自分がゲイってことにも気づいてた。

もうその時に、僕の人生はこういう風に我慢し続けるんだなって思った。

 

高校に入学して、隣のクラスの怖い人に「お前バスケ部だったんだろ?入れよ、」てまた言われてバスケ部に入った。

でもそこで生まれて初めて好きな人(Y君)ができた。

そのY君には中学からの彼女がいて、それが辛くて自分も彼女をつくって同等になりたくて、クラスの優しい女の子に告白して付き合うことになった。

(その女の子と、大学の時に付き合ってくれた女の子には、ずっと罪の意識がある)

 

二年生の終わり、Y君のことが好きでもう辛くて、物理的距離をとってもう会えなくなるしかないと思って東京の大学を受けることにした。

そいつと一緒の大学に行こうかと二年の最初は思ってたけど、美術の先生がきっかけで美大を受けることにした。

それを理由に部活も辞めることができた。

東京の美大にいったら離れられるし、【美大】というブランドを身につけることで少しは劣等感が薄れると思った。不純。

 

自分の意思を信じられるようになったのは本当にここ何年か。

20歳まで主体性のかけらもなかったなと思う。

 

東京に出てきて何年かしたらタガが外れたように我慢しなくなった。

 

大学も卒業して、就職した会社も辞めて、いまはもう自分の感じるままやってみたいことを全部やってやろうと思ってる。

他人なんてどうでもいいってほんの少しずつだけど思えるようになってきた。

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ニャンコです。

 

舞台を初めてやることになり、自分のこともわからないのに人前に立っても説得力がないと思って、こんな風に自分のことを模索してる。

 

よかったら舞台見にきて欲しいですにゃ〜


http://ticket.corich.jp/apply/84748/008/

 

まとまんねえ